明治の初め、吉野山の桜を全部買い取った男がいた。彼の名は土倉庄三郎。吉野から伊勢まで懸崖の山々を抜ける道を独力で開き、全国の山を緑で覆うべく造林を推し進め、自由民権運動に参画し、同志社など多くの学校を資金面で支えることに力を注いだ。また女子教育こそが国力を伸ばすとして日本女子大学校(現・日本女子大学)の創設を支援し、自らの娘もアメリカに留学させた。そのほか手がけた偉業を数え上げたらきりがない。吉野川の源流部・川上村に居を構え、近代日本の礎づくりに邁進した豪商三井と並ぶ財力を持った山林王であった。ところが現在、土倉庄三郎の名前は歴史から消え、彼の事績は忘れられつつある。
土倉家に起きた悲劇とは何なのか。そして吉野の山中からどんな世界を見ていたのか。彼の足跡を追いながら、幕末から明治、そして大正にかけて日本がたどった道のりを森からの視点で探っていく。