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  • 著者佐藤泉
  • 出版社中央公論新社
  • ISBN9784120050688
  • 発行2018年3月

一九五〇年代、批評の政治学

この本では、一九五〇年代に活躍した三人の批評家、竹内好、花田清輝、谷川雁を軸にして、この時代独特の問題意識について再考したいと思う。
なぜ五〇年代なのか。一つにはこの時代が、戦後史の落丁のページとなっているように感じられるからである。
六〇年代は「高度成長」の時代と呼ばれ、八〇年代といえば「バブル経済」「ポストモダン」といったキーワードが良くも悪くも付いて回る。だが、五〇年代についてはこの時代を端的に形容する明確なイメージがあるわけではない。イメージ化されざる時代、それが五〇年代だといえようが、だからといって重要な事件が起こらなかったわけではもちろんない。逆に、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約に始まり、六〇年安保の大規模抗議行動まで、戦後史を語るうえで言い落すわけにはいかない事件、時代を画する事件が引き続いた時代である。むしろそのことが五〇年代を特徴付けていたのではなかっただろうか。五〇年代とは、有り余る出来事のために、一つのイメージを与えることに失敗するほかない時代だったのだ。数多くの出来事は、それぞれに歴史の分岐点を形作ってもいた。もしもあのときあの道でなく、別の道を進んでいたなら、今現在の私たちも別のあり様で生きていたかもしれないと思わずにいられないほど、それぞれが論争的な出来事だった。
もとより「成長」であれ、「バブル」であれ、特定の時期を一色で塗るごときイメージは、そのイメージにそぐわないさまざまな出来事を逆に覆い隠してしまうことになり、その意味では共通に「俗」なイメージなのである。「焼跡から高度成長へ」といった単純な物語に依拠した戦後史のイメージから必然的に抜け落ちてしまう五〇年代は、むしろストーリーに乗らないその座りの悪さによって、単純化された歴史イメージを見直すための足かがりとなるだろう。――「はじめに」より

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