粟屋康子、十九歳。昭和二十年八月六日、原爆によって死んだ粟屋仙吉・広島市長の次女である。尊敬する父、そして弟などの死を知らされた康子は、原爆を受けてなお生き残った母親の看病のために、東京から焦土と化した広島に向かう。そのために原爆症によって、康子は若い命を奪われるのである。自らの生命を捧げて家族への愛を貫いた康子は、その思いを綴った克明な日記と、兄弟や友人、知人に書き送った多くの手紙を残していた。それは、現代の日本人が忘れがちな、思いやりや信念、そして毅然とした物の見方が、行間から溢れ出たものだった…。