幻覚とそしられるかもしれないが、私は球場の二階席から過去のアメリカ野球と交信することがある。イチローがサム・ライスと重なり、野茂英雄がルイ・ディアンと二重映しになり、松井秀喜がビリー・ウィリアムスの面影を漂わせる。投げる、打つ、走る、守る。振り付けられたような美しいアクションに眼を奪われつつ、私は過去の時間のなかに漂い出す。これが醍醐味だ。私はこうして野球を見てきた。こういう野球には、ついぞ飽きることがない。