敗戦直後の昭和20年12月、日本政府はGHQ(連合国軍総司令部)から約二万戸の連合軍の「家族用住宅」の建設を命ぜられた。独立した戸建住宅群を中心に、周辺には幼稚園・小学校、教会、劇場、ボーリング場、クラブ、酒保、診療所、ガソリンスタンド、管理事務所、駐在所などの公共施設、そして道路や上下水道などのインフラを完備した巨大住宅団地の建設が始まる。翌21年3月には住戸に配置される約九五万点にのぼる家具、什器類の生産が司令され、全国の焼け残った数百の工場を総稼働して、戦前戦後を通じ空前規模での生産体制がとられた。その報告書『デペンデントハウス』(1948年)にはアメリカ生活の衣・食・住を、国産技術が初めて作り上げた多くの実証例とともに、建築・家具・什器など、さまざまな生活の分野において広く技術的向上に寄与した、知られざる戦後日本の産業・文化の足跡が記録されている。今日のわが国の生活文化の原点を問う貴重な資料である。