シェリング哲学の本質とは何か? 著者は思惟の本質と生成を一体的に考察し,シェリング哲学を〈生成が本質である〉と捉え,その解明に挑む。
思想家にとって複雑で紆余曲折する思惟にも,それを貫く核心としての方法や原理,さらには根本直観や主導的問いなど,何らかの意味での一性が前提されている。
しかしシェリングの場合,こうした思惟の一性の有無そのものが解釈上の難問ないし障碍となってきた特殊な事情がある。彼は哲学上の立場を目まぐるしく変化させ,内的一貫性を欠く非体系的な哲学者と見なされていた。研究者はフィヒテやスピノザ,ベーメ,さらにヘーゲルとの連関でシェリングの思想を説明し,複数のシェリングという虚像を生み出したのである。
このようなシェリング研究を踏まえつつ,ベルクソンが哲学者の根源的直観に肉迫するために,概念ではないイマージュの媒介を強調した点に着目,シェリングを導びく糸として「非有」のイマージュを捉え,シェリングの思惟の「生成における一」を明らかにする。
初期の自然学から神話論へと考察を拡張し,非有とは無ではなく有であり,ただ高次の有に対しては無としてふるまう,そのような「内なる非有の次元への絶えざる注視」にシェリング哲学の特筆を見出した画期作である。