江戸末期から明治にかけて、二宮金次郎の財政再建手法は報徳運動として全国に広がった。そしてそこから生まれた虚像「金次郎像」は大日本帝国を支える「臣民」の手本とされた。ところが、戦後はGHQによって「民主主義者」として称揚される。歴史の深層から時代ごとに塗り替えられた「金次郎像」を掘り起こしていく。