「今にみちょれ」。
「失われた20年」と呼ばれるバブル崩壊後の日本経済の苦境。
1990年代後半のマツダはまさにその"地獄"の中にあった。
業績は低迷、リストラで社員を失い、外資の米フォード・モーターに経営権を握られ、ブランドイメージは地に墜ちていた。
だが、マツダの技術者たちは諦めていなかった。
自分たちが造りたい「理想のクルマ」を造る。
シェアを追うのではなく、世界の2%のユーザーに深く愛される商品で復活を図ろう。
2005年に社内チーム「CFT6」が立案したプランは、やがて「モノ造り革新」として、マツダの仕事のやり方の
「全取っ換え」につながり、エンジンを中核とする「SKYACTIVテクノロジー」や「魂動デザイン」として結実する。
モノ造り革新には、様々な壁が立ちはだかった。
フォード傘下での悪戦苦闘、リーマンショックの襲来……。
「世界最高のエンジンを全力で開発する」という方針に対しても、ハイブリッド車やEV(電気自動車)が
脚光を浴びる中、「マツダはカネがないから、内燃機関をやるしかない」ともささやかれた。
しかし、2012年からマツダが投入した新世代のクルマたちはヒットが相次ぎ、
デザイン、技術とも数々の賞を受賞。世界的に販売が拡大する。
フォードの支配下からも脱し、トヨタ自動車とは相互出資する形で提携し、対等なパートナーとして認められるようになった。
日本経済が閉塞感に苦しんだ20年間に、この「逆転劇」を起こせた原動力は、
マツダで働く人々の心を燃え上がらせ続けた「モノ造り革新」にある。
その仕掛人にして立役者の金井誠太氏(元会長、現相談役)に、2年半にわたり10回以上インタビューを敢行。
モノ造り革新のすべてを語ってもらった。