◆久女の真実
谺して山ほととぎすほしいまゝ
久女の代表一句といえばこの句。雄渾な一句である。作者の強靱な筋の通った精神と、豊潤な詩のひらめきを感じさせる。この句のような高次の作品世界に至りつくには、かなりの努力と時間を必要としたことであろう。
下五「ほしいまゝ」を得るまで苦慮した久女は英彦山に何度も登ったという。帰り道久女は白蛇を見てそこで霊感を得た。東京日日、大阪毎日新聞主催の名勝俳句に応募して第一席、虚子選であった。私も三回英彦山に登って、この句碑にまみえた。英彦山権宮司所有の訪問者帳に久女の署名があった。
(本文より)
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一生をかけて母久女の生涯を正当に、後世の人々に評価して読んで貰いたい、との一途の思いから自己の力の限りを尽して久女復活の為に活動したのが久女の長女、石昌子であった。母の真実から離れた伝説を打ち消し、久女の真実を認めてやって欲しいとの切なる願いがあった。われわれはその一部始終を把握することによって、歴史の複雑な曲線を眺めてその時代性を理解し、久女に対する視点の冷やかさがあった事実に立ち、現代人として、創生期の俳句界の苦悩を理解するおおらかさを持ちたい、とひたすらに思う。
久女の実像は、夫を愛し、子を愛し、家庭を愛し、数々の名句を残した。俳句作品鑑賞によって述べてきたとおりである。