一瞬にして帝都を地獄に変えた関東大震災。横浜刑務所の強固な外塀は全壊、さらに直後に発生した大規模火災が迫ってきた。はからずも自由を得た囚人に与えられた時間は24時間! 帰還の約束を果たすため身代わりになった少女は、大火災と余震が襲い流言飛語が飛び交う治安騒擾の悪路40キロを走る……これは、刑務所長がまだ典獄とよばれていた時代、関東大震災の渦中に、究極の絆を結んだ人々の奇跡の物語である。
著者・坂本敏夫からのメッセージ
私が横浜刑務所に人知れぬ謎があると知ったのは、昭和四十六年十二月のことだった。当時の刑務所長・倉見慶記を訪ねたときに彼は私にこう言った。
「関東大震災と第二次世界大戦中の記録すべてがなくなっている。戦争関係のものは、本省の行刑局長ら高官が戦犯としてGHQから逮捕されるのを免れるために、全刑務所に焼却等の処分を命じて証拠を隠滅したものだ。戦争の記録がないのはわかるが、関東大震災当時の記録がないのは合点がいかない。一人職員を紹介するから話を聞いてみるか」
そうして倉見が紹介してくれたのが、横浜拘置支所の刑務官・山岸妙子だった。本書に登場する福田サキの長女である。
そして翌昭和四十七年二月、妙子の母・つまりサキ本人を横浜の自宅に訪ねた。老齢のサキは物静かだったが、穏やかな笑みを浮かべて、刑務所に駆け込んだ体験を語ってくれた。
平成六年三月、私は刑務官を辞職した。小説家になりたいという長年の夢を叶えようと勉強をはじめたのだ。本書の上梓までにじつに三〇年余かかった。つまり私のライフワークとなったのである。