「やってみなはれ」の精神で洋酒に命を捧げた男。
サントリー創業者・鳥井信治郎の商魂
【ジャパニーズウイスキー編】
信治郎、二十歳の春、鳥井商店を開業。明治39年、屋号を寿屋洋酒店に変更、日々葡萄酒の味の研究に勤しむ中、赤玉ポートワインが完成する。ライバルは東京、神谷伝兵衛の蜂印葡萄酒。宣伝の重要性を知っていた信治郎は、新聞広告、赤玉楽劇座、ヌードポスターと攻勢に出た。国産ウイスキー造りは周囲からは猛反対にあっていた。そんな時、関東大震災が起きる。瓦礫と化した東京を見て、信治郎は誓う。「わてが日本をええ国にするんや。ウイスキーを作ってみせる」。竹鶴政孝を雇い、莫大な借金をして山崎蒸溜所を建設する――。