「どうしてヘレン・ケラーのようにできないの?」
常にヘレン・ケラーと比較され育った視覚障害をもつ著者が、「奇跡の人」という偶像へ、怒りと異議申し立ての手紙をつづり、架空の対話を試みる!
「偉人」ではない、一人の盲目の女性としてのヘレンの姿を鮮やかによみがえらせ、抑圧から魂を解き放つ、和解と再生の創造的ノンフィクション。
親愛なるヘレン・ケラー、
あなたは本当のことを語っていますか?
ヘレン・ケラーについてのあらゆる本、インタビュー、記事、その他の資料にあたってヘレンの実人生を研究しつくしてきた著者が、ときに視覚障害当事者としての自らの思いと重ね合わせながら、ヘレン・ケラーの人生の様々な局面をたどり直していく。これまで公に考えられてこなかった一人の女性としてのヘレンの喜び、苦しみ、悩み、挫折、野心やさらにはある「疑惑」や性の問題、秘めた恋愛、恩師サリヴァン先生との関係性などセンセーショナルな側面、そして誰もが避け得ない喪失と老いと死について……ヘレンと著者の二人の道行きとその果てに見た光景とは。苛烈で痛快、魂ゆさぶる再生の物語。
特別解説:伊藤亜紗 (東京工業大学科学技術創成研究院 未来の人類研究センター准教授)
「怒りから、そして愛へ。これほどまでに激しく、かつ綿密に練られた本が、他にあるだろうか。それは単に美しいだけではなくて、私たちの目を覚ます重要な指摘を含んでいる。」
私がこの本を書いたのは、ヘレン・ケラーという名の、私個人にとっての悪霊を追い払うためだ。ほとんどの人々が、不幸に直面した人間のもつ不屈の精神の象徴としてヘレン・ケラーを崇拝している。でも、私にとっての彼女は常に、私が見習うことを望みえなかった存在を意味していた。(中略)子どもの頃以来、彼女の名を始終引き合いに出されてきたが、それは自分がどれほど恵まれているかをありがたく思うべきだということを私に思い出させるためだった。そのせいで私は彼女に腹を立てていたし、彼女の生涯、とりわけ学校の教科書や『奇跡の人』のような人気の娯楽作品で目にするその生涯の説明は、真実としてはあまりにも話がうますぎると疑っていた。
大人になってから、私は彼女の物語をもっと網羅的に研究し始めた。彼女自身が自叙伝的に書いた著作も、また彼女について刊行された多くの伝記も読んだ。多くの出来事や人間関係が、これまで私がずっと信じ込まされてきたものとは食い違って見えることがわかった。だが、そこにはまた何か失われているものもあった。それはまるで、彼女が自らを人々に感動を与える象徴的な存在だと考えており、そしてその象徴であるための必要性ゆえに、自身のいかなる怒りも恐れも、あるいは悲しみも、決して表に出せなかったかのようだった。彼女