日本が朝鮮を植民地とした時代。白磁の器、木工の膳――朝鮮の人々が日常に使う道具の美しさに魅せられ、柳宗悦とともに「朝鮮民族美術館」設立に尽力した浅川巧。ソウル市内の巧の墓碑には「韓国人の心の中に生きた日本人、ここに眠る」と刻まれる。「時代の砂の一粒として生きた巧を未来につなぐ」(「解説」より)創作評伝。