21世紀をデザインしたまんが家、手塚治虫
「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ユニコ」など、数多くのキャラクターを生み出し、1000作以上の作品を残した、世界を代表する漫画家、手塚治虫。生涯に描き上げた原稿は15万枚にもおよびます。1947年に発表した「新宝島」は40万部の大ベストセラーとなり、漫画家、手塚治虫の名を全国に知らしめます。このとき手塚は、角帽も初々しい医学部の学生でした。彼は、漫画にクローズアップ、カットバックなどの映画的な手法を取り入れ、それまでの平面的で静止画風の漫画の描き方を根本的に変え、戦後の漫画表現の骨格をほぼ独力で造り上げたのでした。1963年には、「鉄腕アトム」によって、日本のテレビアニメの扉を開きます。続いて発表した「ジャングル大帝」「火の鳥2772」や実験的アニメ作品で、世界各国の国際映画賞を受賞。アメリカの映画監督、キューブリックが、彼の代表作、世界各国の国際映画賞を受賞。アメリカの映画監督、キューブリックが、彼の代表作、「2001年宇宙の旅」の美術デザイナーとして協力を要請したことは有名な話です。その後、「ブラック・ジャック」「ブッダ」「火の鳥」「陽だまりの樹」などの名作を次々に発表して、国内の漫画賞を総なめにします。しかし、長年に渡る過酷な執筆生活のためか、1989年2月9日、60歳の早すぎる死を迎えます。死の翌日、朝日新聞は「鉄腕アトムのメッセージ」と題した社説で、次のように手塚治虫の死を悼みました。『日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか…なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ…』