第 七 巻
抑制と無抑制
第 一 章 悪徳・無抑制・獣的状態。ならびにその反対のもの。抑制と無抑制とに関するもろもろの通説
第 二 章 これらの見解に含まれている困難。以下かかる難点が解きほぐされなくてはならない
第 三 章 抑制力のないひとは知りつつあしきことをなすのだとすれば、この場合の「知りつつ」とはどのようなことを意味するか
第 四 章 無抑制は如何なる領域にわたるか。本来的な意味における無抑制と、類似的な意味における無抑制
第 五 章 獣的なまたは病的な性質の無抑制は、厳密な意味で無抑制とはいえない
第 六 章 憤激についての無抑制は、本来的な意味における無抑制ほど醜悪ではない
第 七 章 「我慢強さ」と「我慢なさ」との、抑制ならびに無抑制に対する関係。無抑制の二種──「せっかち」とだらしなさ
第 八 章 無抑制と悪徳(=放埒)との区別
第 九 章 抑制・無抑制に似て非なるもの。抑制も一つの中庸といえる
第 十 章 怜悧は無抑制と相容れても、知慮は無抑制と相容れない
快 楽 ─A稿─
第十一章 快楽の究明の必要。快楽は善でないという三説とその論拠
第十二章 右についての全面的な検討
第十三章 つづき
第十四章 つづき
第 八 巻
愛(フィリア)
第 一 章 愛の不可欠性とうるわしさ。愛に関する疑義若干
第 二 章 愛の種類は一つではない。その種別は「愛さるべきもの」の種類いかんから明らかになる。「愛さるべきもの」の三種──善きもの・快適なもの・有用なもの
第 三 章 愛にもしたがって三種ある。だが「善」のための愛が最も充分な意味における愛である
第 四 章 「善」のための愛とそれ以外の愛との比較
第 五 章 愛の場合における「状態」と「活動」と「情念」と
第 六 章 三種の愛の間における種々の関係
第 七 章 優者と劣者との間の愛においては愛情の補足によって優劣の差が補われなくてはならない
第 八 章 愛においては「愛される」よりも「愛する」ことが本質的である
第 九 章 愛と正義との並行性。したがってあらゆる共同体においてそれぞれ各員のあいだに一定の愛が見出される。共同体の最も優位的なものは国家共同体である
第 十 章 国制の種類と、そこから家庭関係への類比
第十一章 右に応ずるもろもろの愛の形態。愛と正義とは各種の共同関係において、それぞれその及ぶところの限度が並行的である
第十二章 種々の血族的愛。夫婦間の愛
第十三章 各種の愛において生じうべき苦情への対策として、如何にして相互の給付の均等性を保証するか ⒜ 同種の動機による均等的な友の間において
第十四章 ⒝ 優者と劣者との間において
第 九 巻
つ づ き
第 一 章 ⒞ 動機を異にする友の間において
第 二 章 父親にはすべてを配すべきか
第 三 章 愛の関係の断絶に関する諸問題
第 四 章 愛の諸特性は最も明らかに自愛において見られる
第 五 章 愛と好意
第 六 章 愛と協和
第 七 章 施善者が被施善者を愛することは後者が前者を愛する以上であるのは何故か
第 八 章 自愛は不可であるか
第 九 章 幸福なひとは友を要するか
第 十 章 友たるべきひとの数には制限があるか
第十一章 順境と逆境と何れにおいてより多く友を要するか
第十二章 「生を共にする」ということの愛における重要性
第 十 巻
快 楽 ─B稿─
第 一 章 快楽を論ずる必要。快楽の善悪に関する正反対の両説。その検討の必要
第 二 章 快楽は善であるとするエウドクソスの説。(その制約。) エウドクソスに対する駁論の検討
第 三 章 快楽は善ではないとする説。それについての検討
第 四 章 快楽とは何か
第 五 章 快楽にはいろいろの快楽がある、──活動にもいろいろあるごとく。では何が人間の快楽であるか。それは何が人間の活動であるかというところから明らかになるであろう
結 び
第 六 章 究極目的とされた「幸福」とは何か。それは何らか即自的に望ましい活動でなくてはならぬ。だが快楽が「幸福」を構成はしない。「幸福」とは卓越性に即しての活動である
第 七 章 究極的な幸福は観照的な活動に存する。だがかかる純粋な生活は超人間的である
第 八 章 人間的な幸福は倫理的な実践をも含めた合成的な「よき活動」に存する
第 九 章 倫理的卓越性に対するよき習慣づけの重要性。よき習慣づけのためには法律による知慮的にして権力ある国家社会的な指導が必要である。立法者的能力の必要。立法の問題は未開拓の分野である。われわれは特に、国制に関して全面的に論ずるであろう
解 説 文献略称 あとがき 索 引 用語索引 固有名称索引 訳 注