「茶の湯の名人」の称をもち、千利休の高弟中の随一と謳われる古田織部は、自ら千軍万馬の戦場を往来した戦国大名。その故にか豊臣家滅亡後、家康より切腹を命ぜられる悲劇をもって波瀾の生涯を閉じる。織部こそ利休に次ぐ茶の湯名人と確信する著者は、あらゆる史料を博捜してその人と芸術を描き出す。桃山文化の神髄として不朽の光を放ち続ける織部の茶道の全体像を、初めて明らかにした記念碑的労作。