父は他界
弟はダウン症
母は車いすユーザー、からのコロナ禍に生死をさまよう大手術
間におじいちゃんの葬式が挟まって
ついには、おばあちゃんに異変が
ーー残された長女(作家)にすべてのタスクは託された
次々におそいかかる「もうあかんわ」なラインナップ
なのにどうして、こんなに面白い文章が出来上がってしまうのか
読んでる側はいったいなんで、こんなに救われてしまうのか!?
【人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ】
3月10日から4月15日までの岸田奈美のnoteに書かれた、泣けて笑える祈りの日々
放った言葉を本人の手で見事に体現した、読後、拍手喝采のエッセイです
<3/10 岸田奈美のnoteより>
現代社会が抱える闇の全部盛りが、かっぱ寿司のすし特急に飛び乗ってやってきた!?!?!?!??!!
チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言った。
わたしことナミップリンは「人生は、一人で抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」と言いたい。
悲劇は、他人ごとなら抜群におもしろいのだ。
ユーモアがあれば、絶望に落っこちない。
常々そう思っていたけど、気づいたのは、ユーモアは当事者に向けるものじゃない。
悲劇を喜劇に変えるためのユーモアは、そこにいない聞き手、つまり第三者にしか向けられないものなのだ。
理不尽なこの日々を、こうやって笑い飛ばしてもらえたら、わたしはそれで救われる。
同情も憐憫もほしくない。
やるべきことも全部わかっているので、家に来て手伝ってほしいわけでもない。
ただ、笑ってほしい。
だって、このストレスフルな時間も、心のどこかでわたしは「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」って思っているのだ。
そういう明るい自分を、わたしは見失いたくない。
でも、このままやったら、もうあかんわ。
そんなわけで、前置きが長くなりましたが、読者さんにお願いがあります。
今日から母が退院して落ち着くまで、毎日21時に、noteで日記を書きます。
時間のある人は、どうか、読んでいってください。
読んでくれる人がいるだけで、わたしは、語る意味があります。
悲劇をわたしがnoteで書けば書くほど、喜劇になっていきます。
タイトルは「もうあかんわ日記」です。
もうあかんので。あかんくなる前に、助けてください。