誰もがそうとは言わないが、親とは二回、別れがある。
一度目の別れは、子どもが実家を出ていくとき。二度目の別れは、親がこの世から出ていくときだ―――2020年8月、コロナ禍の中、がん終末期で入院中の母・久仁子は、自分の最後の誕生日をどうしても自宅でお祝いしたいと決意した。痛い、苦しいと言ったら一時退院が許されないかもしれない。母は、身体のしんどさを口にすることもせず、精一杯の力を振り絞って最後の夢を叶える。
淳は母の決意を知り、コロナ禍の中、母ちゃんの誕生日に下関の実家へと駆け付けた。
(以下本文より)
やがて和室に僕と母ちゃんのふたりだけになった。
「帰って来られてよかったな。母ちゃん」
母ちゃんは、しばらく黙ったままだったが、不意に目を開けた。
「あつし」「うん?」
「あした、病院に、戻らんといかんでしょう。このまま、ここで死んだら、お父ちゃんに、迷惑、かかるし」
「そんなこと言うのはまだ早いんじゃない?」
ううん、と母ちゃんは小さく首を横に振る。
「もう、しんどいわ。次に病院に戻ったら、痛み止めのモルヒネ、どんどん打ってもらう。眠ったままに、なる。
もう二度と起きない……だから今日が、さいご。今日しか、今しか、ない。だから、なんでも言っておいてな」
強い瞳で僕を見る。へんだな。いざ母親と向き合うと、何を話していいのか思い浮かばない。
本当は山のように話したいことがあるはずなのに。
(本文ここまで)
2021年春、慶応大学大学院メディアデザイン研究科を僕は卒業した。
二年間そこで学んだのは、「死者との対話」だった。
最愛の人がこの世界に「イタコト」を忘れない限り、その人は、心の中でずっと生きている。
いつか必ず訪れる家族とのお別れの前に、どうか、この物語を読んでほしい。