世界20カ国で刊行され、日本でも大きな話題を呼んだ『ぼくはお金を使わずに生きることにした』著者の新たな挑戦!
グローバル化する世界においてテクノロジーとは、最高のテクノロジーの持ち主らにのみ利益をもたらすのだ。
お金を使わない生活実験で知られる著者が、今度は電気、水道、ガス、テレビ、電動工具、時計、インターネット、携帯電話といった、現代社会のテクノロジーをいっさい使用せずに、小農場に恋人らと建てた小屋で自給自足の生活をすることにした。敷地内には、誰でも予約なしで泊まれる無料の宿泊所兼イベントスペース兼もぐり酒場〈ザ・ハッピー・ピッグ〉もある。
泉の水を汲み、野草を摘み、ロケットストーブで調理をする。マス釣りをし、鹿を解体してその命を丸ごと自分の中に取り込む。コンポストトイレを作り、堆肥で畑の野菜を育てる。贈与経済の中で地域社会の人たちと豊かに暮らす1年間が、アイルランドの自然の美しさとともに、著者一流のユーモラスな文章で詩情豊かに綴られる。
究極の生活から見えてきたものとは──
《Irish Independent, BOOK OF THE YEAR 2019》
〈本書より〉
二〇代はじめの自分をふりかえると、自尊心の源はおもに「かせいだカネがどれだけ多いか」であった。(略)最近では「必要とするカネがどれだけ少ないか」が自尊心の源になっていることに気づく。
六か月前に現代生活の気散じを排した生活をはじめたとき、自分がどんな反応を示すかに興味があった。活発すぎるぼくの心は退屈してしまうだろうか。時間の進みかたを遅く感じるようになるだろうか。もし時間がゆっくり進むのだとしたら、それを楽しめるだろうか、それともつらく感じるだろうか。
実際には不思議な経験をしている。一日一日は以前よりもくつろげて、焦りやストレスをおぼえることなく過ぎていく一方で、四季の循環はこれまでになく速く感じられる。ぼくらはみな、自分の時間にあれこれの用事を詰めこんでいながら、いちばん大事な問いについて考え忘れているのではないか。貴重ないまの時間を何についやすのが最善か、という問いである。
ときどき自分に言いきかせなければならない。ガスコンロ、ダイヤル、ボタン、スイッチの代価を支払うためにいやな仕事を我慢する苦痛など、恋しくもないはずだ、と。人は忘れっぽい生き物である。
テクノユートピア主義者は、何事もAIまかせにしようと考えるが、将来がどうなろうとも、ぼくは、自分がどのような暮らしを望むか承知している。いつなんどきでも、人工知能(アーティフィシャル・インテリジェンス)より自然の叡智(ナチュラル・インテリジェンス)を選びたい。