健気に頑張る、あるいは尊敬すべき障害者ーーメディアや映像作品でおなじみのイメージは、健常者の感動の道具として消費するだけの「感動ポルノ」なのではないか? 最近のそんな批判に対し、名作とされる映画からドキュメンタリー、パラ五輪まで個々の表現に分け入り、何が語られていないか、その可能性まで含めて考える。