禅問答(公案)とは、禅の修行で、弟子の固定観念を打破し、悟りへと導くための手段として用いられる、禅者の言動や問答などのことです。際立った思考を求めるものばかりで、常識では理解困難だったり解決不可能だったりします。
ただ、禅問答は「非常識的」ではあるものの、「非論理的」ではないのがおもしろいところです。もし全くもってナンセンスな内容であれば、禅僧であろうとも、取りつくシマがなく、テキストにはなりえなくなってしまうからです。
この「ちぐはぐで分かりにくい問答」を、あえて「考える」ためのエクササイズとして読み解くのが本書です。禅問答にわかりやすい答えはありませんが、だからこそ「わからない」を楽しめるようになっていきます。答えという結果ばかりを求めると、どうしても不安におちいります。そして結果を出すプロセスを省略したくなり、様々なものを味わい、おもしろがることができなくなってしまうのです。
紹介している問答は、やっていることも考えていることも意味不明。それでも解説を読みながら何とか理解するヒントを探していると、どんどんおもしろくなってきます。わかりそうで納得できないところも、これまた絶妙におもしろい。 これを繰り返しながら、わからない不安がおもしろさに変わっていく本です。
本書であつかうのは、「語録の王」と称される『臨済録』におさめられた禅問答。『臨済録』は、唐の時代の中国で活躍した禅僧、臨済義玄(?~866)の語録です。語録とは、禅僧のおこなった説法や問答などをあつめたもので、その名を冠した語録が編まれるのは、その禅僧がたいへんな大物だという証なのです。
じっさい臨済は、中国禅宗史にあって屈指のビッグ・ネームで、彼こそは Mr.禅ともいうべき禅者です。
臨済の修行や教え方は、私たちが想像するただひたすらに坐禅をしているお坊さんとはまるで異なります。つねに主体的に動き、考えていたのです。
禅問答の難しさの理由の一つに、非常にハイコンテクストだということが挙げられます。それぞれの問答をじっくり味わえるよう、背景が理解できるイラストを各問答に入れています。また、優しい語り口と丁寧な解説で、当時の僧たちが何を考え、行動し、どう生きたのかひもときます。