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  • 著者加藤紘捷
  • 出版社ロギカ書房
  • ISBN9784909090959
  • 発行2023年4月

ペストは冬、どこに潜むのか 満州で身を挺して解明に挑んだ医師

満洲ペストというと、センシティブな問題として、ペスト菌を非人道的に扱った悪名高い戦前の軍部の仕業が連想されがちだが、満洲ペストはそれがすべてではない。戦前、満洲の地で蔓延するペスト患者を前に、治療と予防、また感染経路の解明に身を挺して挑んだ医師たちがいたのだ。その一人、筆者の父・加藤正司はペスト防疫所の所長として、他の防疫官職員とともにペスト発生地帯である広大な満洲平原に散在する村に飛び込み、身の危険を顧みず、ペストで苦しむ患者の治療と予防に献身した。
それだけではない。満洲のペストは、夏に激しく蔓延し、冬に終息するのだが、春になると再び頭をもたげ、翌夏にまた流行する。これを毎年繰り返している。加藤はペスト流行の根元は冬にある考え、従来からの畑リス説を覆し有菌ネズミ説を唱え、半家住性ネズミが冬、この主役を演じていることを突き止めた。そのことは戦前、満洲保健衛生協会誌に加藤論文として掲載されたが注目されたとは言えなかった。この発見は戦後、加藤の右腕だった長澤武が書き残した論考 「吉林省ペスト防疫所は何をしていたか」で明らかにされたが、学会レベルで関心がもたれたとは言えず、満洲ペストの防疫に立ち向かった加藤の事績は報われないままに終わるかに見えた。
ところが、平成に入り、日本医学史学会の会長である酒井シヅ教授の著書『病が語る日本史』のなかで満洲ペストの加藤たちの功績が取り上げられ、ようやく日の目を見た。満洲ペストの解明に身を挺して挑んだ加藤、そして加藤を支えた防疫官職員の労苦が一歩、報われたと思うのは筆者だけであろうか。
だからと言って、前提なしに加藤の事績を美化するつもりはない。中国の人々からすれば、如何なる立場に立つとしても、それは植民地統制の一翼を担わされたに過ぎないと思うかもしれない。しかし、現場の一線に立ち、いざ医療と研究に従事してみると、そこには夥しい数の満洲農民がいて、昔からペストに苦しんでいる。この惨状と困窮を見たとき、医者であるならば一日も早く救済したい思うのは当然であろう。
当時の加藤らは民衆に近い現場にいたし、ペストが発生すれば、もっとも命の危機に瀕するのは医療従事者であった。医療器具も不足するなか、加藤及び所員たちはできる限りを尽くして奮闘したのである。
本書は、加藤の足跡と事績を辿ることにより、終戦後帰国途上で殉死した加藤の人となり、加藤らペスト防疫所の職員たちが満洲ペストの防疫にどのように従事したか、そしてペスト研究の末に得た知見の中に後世に残しうる一条の光があったのだと、読者諸氏に思いめぐらせていただければ幸いである。

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