本書は、1980年に日本の文芸「俳句」に倣って生まれた漢俳を、中国の国民詩にまで育て上げた日中文化人の軌跡を辿ったものである。漢俳創設の三羽烏、鍾敬文・趙樸初・林林や、漢俳普及に全力を尽した金子兜太、彼らの奮闘が、当時の空気感と共に伝わってくるだろう。
よく、漢俳は漢字十七字で俳句には似ていないと言う人がいる。しかし、俳句を漢訳したところ、その大半が漢俳型になるのである。似ていないように見えるのは、日本語と中国語の表現に差があるからだ。巻末には、漢俳の作りかたや、元中国文化部副部長・劉徳有氏の講演録も掲載する。
著者のことば
「漢俳」の誕生は中国詩史に、国民詩の出現という足跡を残す一大エポックであった。その名が示すとおり、これは日本の伝統文芸である俳句にヒントを得た文芸である。
これを中国の国民詩たらしめた林林先生を始めとする中国詩壇の漢俳推進に対する努力は今思い出しても頭が下がる。その中核に林林と金子兜太という二人の巨人がいた。その血盟の行程は今書いておかないと分からなくなると思い、この記録に留めた。日中文芸交流に関心ある方の参考になれば幸いである。(「あとがき」より)