晴景の女藤紫の弟源三郎と、新発田城主尾張守長敦の内室が不義を犯し、長敦が晴景に背いて景虎に帰服を申し出たことから、兄弟の仲はいちだんと悪化していた。景虎はついに兄との戦いを決意、その軍を破り、兄に代って春日山に入城、天文18年(1549)、20歳で長尾家当主となった。その年の5月、越後守護上杉定実が病死、その葬儀に不参の長尾房景の心中を疑った景虎は、宇佐美定行の勧めで、姉綾を房景の息子政景に輿入れさせることを決めて、和睦を図った。