はじめに/必死の遺体収容作業「とにかく、やんねばなんねぇ」との思いで/津波の怖さを忘れない/寒さと不安に震えた夜/チームワークあっての町内会防災活動/隣の人に優しくしたい/バスの中で明かした一夜 妻を探しに全避難所を廻る/思い繋ぐ/災害時に「構内」の通行を!/遺体収容、オイルターミナルの警戒 支援物資着払いに多額の自己負担/まず「逃げること」を実感/”あっー”お父さん おかえりなさい/その時、大槌病院で/看護師、家族、一人の人間として/逝ってしまった最愛の妻と愛しい次男へ/天井とのわずかな空間で息を吸い/避難生活を振り返って/三月十一日を忘れない/「もの言わぬ語り部」として残してほしいと願っていました・・・・が/母の死、そして孫の誕生/危機一髪で助かった命/僕の人生を変えた三・一一/川口博美君と山﨑りんさんの母 ゆかりさんの思い出/仮設で一人でくらして/「仮設から離れて自分の家で手足を伸ばし眠りたい」”被災者の声を聴け”12・12国会総行動での訴え/私の震災は終わらない/胸まで波 黒い水が口の中に/九死に一生を得た/私の三月十一日/覚悟、それから/家は残ったが、相次ぐ訃報に衝撃/大浜渡橋の上で立ち往生四時間/山坂を転びつつ仙寿院へ避難/人生、一秒、一刻、紙一重/三年たって、やっと話せるようになった/JR山田線復旧で進路制限解消を(ニ〇一三・一一・九 JR山田線の早期復旧を求めるシンポジウム 宮古)/資料 一、中村信之 とんでもない大地震、大津波、そのとき、その後若者は!(NPO法人みやこ自立サポートセンター) 二、釜石市鵜住居地区防災センターにおける東日本大震災津波被災調査中間報告書より(抜粋) 三、被災者の声 東日本大震災津波救済・復興岩手県民会議に寄せられた政府への要望意見(八ニ九件より抜粋) 四、内閣総理大臣 安倍晋三殿への要請署名用紙 五、東日本大震災津波体験集(第三集)原稿募集チラシ