霊峰富士に対する民間信仰は古くからあるが、急速に大衆化したのは、「富士講」のはじまった天正年間である。しかし、大衆化は同時に信仰の俗化、形骸化を招いていった。富士講の荒廃に反発する行者・月行に見出され、後に富士講中興の祖と称された身禄のきわめて感動的な波瀾の一代を描ききった長篇歴史小説。