1909(明治42)年10月下旬、視察のためハルビン頭に下り立った前韓国統監伊藤博文は、韓国の一市民が放った数発の銃弾を受けて倒れた。伊藤を倒さねばならなかった安重根は法廷に立つことになった。安の裁判から次第に明らかにされていく事実を、大日本帝国は必死に隠蔽しようとする。東洋の平和はアジア各国の自主独立以外にないとする安の思想は、大日本帝国の主義主張と根本から相入れないものだった。当時の裁判記録を検証しながら、安と伊藤の生い立ちからの人間像を克明に浮き上がらせていく。