父の死を契機に故郷に戻った一茶ではあったが、その活動は信州の一地方にありながら、「一茶ぶり」の作風を確立しプロの俳人として化政期俳壇のトップにその名声を記すことになる。およそ一万九千句、日々の出来事を綴った日記や手記など、余りにも多くの資料を残したがために、ともすると、肉親の愛うすく、日々を漂泊に送った特異な存在として、一面的部分で評価されがちな一茶像を、信州帰住後の行動を中心に新たな視点で描く。