江戸に帰った周作は、文政二(1819)年、免許皆伝を許された。綾を娶り、浅利道場の後継者となるべき将来は約束されていた。だが流儀の改革を訴える周作と旧套を墨守しようとする又七郎との間には、容易に埋まらない溝があった。周作は養父の罵声を背に浴び、綾とともに浅利家を出た。安穏な生活を捨て、一貧士として北辰一刀流の道場創設を目指す周作。しかしその行手には幾多の試錬が待ち受けていた。江戸随一の剣士と謳われた千葉周作の生涯を描く、剣豪小説の名作。