民主的な公共性にむけた、同質性の政治から複数性の政治への転換はいかにして可能なのか。複数性を消去してしまう「表象の政治」に対し、表象には還元されない、具体的な「誰か」として、これまで現われることを封じられてきた自己を政治的に提示する「現われの政治」を擁護し、社会的連帯再生の可能性を考える。