俳人は自分の句集など出さなくてもいいというのが蕪村の口癖であったが、実はひそかに自選句集を書き進めていた。しかか死によって未刊、しかもひとり娘の婚嫁の資として頒布されてしまう。長年にわたり自筆句集を求めていた校注者は、約7割を復元、本文庫には、その1055句に「春風馬堤曲」など俳詩3篇を加え一本とした。