破竹の勢いで進撃してきた木曽義仲は、寿永2年7月28日、比叡山に難を避けた後白河院を守護して入京し、平治の乱以来20余年見られなかった源氏の白旗が、都にひるがえった。一方、都を落ちた平家は九州にのがれたが、在地豪族緒方三郎維義に追われて、九州も脱出しなければならなかった。都の義仲勢は不法狼藉の振舞いが多く、後白河院を中心とする貴族との対立をふかめ、ついに義仲は院の御所法住寺殿を攻撃したのであった。