3.11後、それまで書いていた小説の原稿をすべて破棄した大江健三郎氏。新たに緊迫した日本を小説の舞台に選んで語り始める。老境の円熟を拒否してカタストロフ(大惨事)に挑む傑作! これまでの作家としての成果すべてを注ぎ込んで、個としての作品を超えるメタ(超越的)小説。一見“私小説”、しかし実は・・・・・・。この作品を通して大江健三郎の全人生が見えてくる。最後に引用された恐るべき予見の詩とは?
2011年3月11日後の緊迫した状況を背景に2年近くにわたって「群像」に連載。タイトルは、老境を迎えても円熟を拒否し、前途に予想されるカタストロフを回避しないという芸術家の表現スタイルの態度についての、エドワード・サイード(大江さんの親友)の言葉「イン・レイト・スタイル」から採られる。「話者≒著者」の、表現者としての全人生を批評的に捉え直すような内容と構造になっている。「語り手の置かれた状況を3月11日後の荒れ果てた日本に設定した。日本が今生きている大災害と同時にわたしの内省の旅が始まった。わたしは一市民がどのように感じているかを表現しようとしている。この作品から見えるのはわたし自身の人生だ」と仏ルモンドのインタビューに答えている。
私(古義人)は「3.11後」大きく動揺していたが。ようやく恢復して「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」という文章を書き始めた。アサ(妹)と千樫(妻)と真木(娘)は「三人の女たち」というグループを結成し、私の今までの小説に対する反論を送ってきた。私は自分の文章とその反論を合わせて私家版の雑誌を作ることにした。
一方ギー兄さんの息子であるギー・ジュニアは、「カタストロフ」委員会という名称の団体を作り、その研究対象として自らの父ギー兄さん、自殺した映画監督・塙吾良。そしてその証言者として私のインタビューを開始する。
千樫の発病を機に真木が上京し、代わりに私が四国の森のへりでアカリとの共同生活を始める。ギー・ジュニアもアカリのために働くことになった。
過去の対立を乗り越えた私とアカリは、アカリさん作曲、真木選曲のCD「森のフシギの音楽」を森の中で聴くことにする・・・・・・。