686年9月、天武天皇が崩御する。〓野讃良皇后(後の持統天皇)は草壁皇太子の即位を保留し臨朝称制する。そして翌十月、大津皇子が謀叛の廉で処刑される。その裏には持統天皇の、天武嫡系の皇子による皇位継承をという強い意思があり、藤原不比等との間に盟約を結び協力体制を組む。不比等は何を意図して協力体制を組んだか。本書は盟約の内容と協力体制の歴史上の展開を追い、河内安宿に繋がる人脈を説き、古代史の謎を解く。