ヒロシマで逝った子どもたちの最期の言葉
瀬戸内の島で原爆投下の8月6日を迎えた奥田貞子さんは、翌日広島に入り8日間、兄の子どもたちを探して市内を駆け巡ります。その間、市内で会った子どもたちの死に立ち会うことになり、死を前にした子どもたちの様子を克明に日記に残しました。
『原爆の子』が生き残った子どもたちの記録として貴重であると同様、亡くなった名もない子どもたちの記録として語り継がれなくてはいけない。これは、その唯一の書です。
「正子はいい、もう痛くない、おじいちゃんに薬つけて」/「お母様にもあげようよ」「お母様には、お兄ちゃんのを残しておくから、みどりは心配しないでお食べ」/「私はもうダメだから、おばさんの子におにぎりをあげてください」。子どもが苦痛に耐えながら、こんなことを言えるのか、というほどの神々しい言葉を遺して子どもたちは、亡くなっていったのです。
戦争の悲惨にどう自分が居合わせたか、そして何も出来なかったか、を突きつけられた著者の悲痛な叫びが、戦後70年経ったいま、読む者にもその真実を忘れるな、と、突きつけてきます。
巻末に、重松清氏による寄稿「ささやかでなければ、伝えられないこと」。