1999年9月30日10時35分。茨城県・東海村の核燃料加工施設で瞬いた不気味な光は、日本初の"臨界事故"を意味していた。事故現場周辺の住民たちは見えない放射線の恐怖に追われ、国をはじめとする各行政機関は想定外の事故に翻弄され続けた。今回の事故の"当事者"が発する言葉には、静かな恐怖と怒りが潜み、それは同時に日本が抱えるエネルギー政策の問題点でもある。世界をも震撼させた"レベル4"の原子力事故は、我々日本人にどんな教訓を残したのか。事故当事者による生の証言を中心に、事故の本質に迫る。