日本初の西洋美術の殿堂、大原美術館、その設立者・大原孫三郎は、社会の中での企業のあり方を追求し続けた。日本資本主義史上まれにみる実業家であった。倉紡中興の祖として人道主義経営を実践し、大原社会問題研究所、倉敷中央病院など数々の遺産を後世に残す。いかなる困難にも企業人としての理想を貫き、厳しさと奔放さを伴せ持ったと評される孫三郎。その生涯は、腰の座らぬメセナに騒いだ現代人に、企業文化の意味を鋭く問いかける。