明治から大正にかけて、野球はすばらしい勢いで全国各地に普及していった。このような野球熱の高まりと、日本三大漁業会社の中の一つに成長して豊富な資金力のある下関市の林兼商店(後の大洋漁業)と、創業者・中部幾次郎の長男で大の野球好きである専務の兼市氏、この三つの条件の中、林兼商店野球部が誕生したのである。やがてこの野球部が、現在「横浜ベイスターズ」として愛され続けている「大洋ホエールズ」へと姿を変えていく-。