大名屋敷の分割から始まった東京の住宅地開発は、大正期に入り郊外に広がっていく。そして、郊外電車の発展と中産階級の増大によって、独特の郊外文化を形成していった。それは、洗足や田園調布のように田園都市をうたったもの、桜新町や城南文化村のように当初は別荘地として開発されたもの、成城や国立のように学園町の構想で造られたもの等、様々な表情を見せている。14の事例は、各々の筆者が現地踏査した成果をまとめたもので、開発当初の敷地図、当時の住宅の平面図や写真、広告、ちらし等、多くの資料を使って視覚的に見せる。