東京立川の米軍基地に隣接する都営住宅で、女手ひとつで育てられた伊勢崎賢治は早大大学院で建築学を学び、インドに留学、世界最大のスラムで市民運動に目覚めた。その後国際NGO職員として、内戦で疲弊した西アフリカ・シエラレオネに赴き、莫大な予算を使ってインフラ整備に尽力。ケニア、エチオピアを含め10年にわたってアフリカの開発援助に携わる。2000年から東チモールで、01年から再びシエラレオネで、03年からはアフガニスタンで武装解除を指揮した。一筋縄ではいかないテロリストとの駆け引き。