死の間際まで、貧民医療への情熱は衰えなかった。いつも心には、パリで学んだオテル・デューの思い出が輝いていた。凌雲が最期まで訴えたのは「病は貧困がつくる、貧困は病がつくる」という信念からだった。-日本の赤十字活動の魁、高松凌雲の生涯を描き切る。