夏目漱石は近代人のエゴイズムに対する不安に苦しんだが、宮沢賢治は人間であることの不安に苦しんだ。それはまさに現代人の根源的不安である。人間は動植物を支配し、その生殺与奪をほしいままにしてきた。一方、利権や民族、宗教をめぐる対立による殺戮とテロの応酬が果てしなく続く。賢治は21世紀を予見していたかのように、人間世界の修羅と仏性の葛藤に苦しんだ。そして到達したのが、万物に平等の生命を認め、すべての動植物と共生共死の関係に生きるデクノボーの世界であった。それは、風や宇宙から豊かな霊性を感受する自然人の生き方でもあった。本書は新たなる「賢治像」であるとともに、現代人がいかに生きるべきかを示唆するものである。