「知」の内実もスタイルも、その「知」が構成される時代の権力作用と不可分の関係にあることを暴いたのが1970年代の哲学思想だった。そこから出発したポスト構造主義の思潮は、80〜90年代にかけてそうした認識をややもすると自己言及的なニヒリズムの迷路へと導く傾向があったが、山口はもともと違っていた。知の歴史的・社会的構成への想像力を、「思考する」ことの純粋な快楽と発見への歓喜として示しえた山口の精神史的著作の輝きを、新たな世紀はどう位置づけ直すべきなのだろうか。本巻は、山口の「知」が生成されるもっとも本質的な場としての「書物」とその隠喩が奏でる、著述家の思考の夢の世界を示している。