慶長8年2月、家康は征夷大将軍に就任し、いよいよ天下人として、理想の国家づくりに着手した。徳川・豊臣両家の和合のため、孫の千姫を秀頼に嫁がせ、「斬り取り勝手」の戦国の常識を根底から改革しようとする。しかし淀君をはじめとする反徳川の執念は根深く、泰平の道はいまだ遠しである。