研究費が不足する。産学共同研究にして企業から研究資金の支援をいただこう――
特許料で研究する人はいるが、病院までつくったのは私が初めてではないだろうか――
2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授が歩んできた82年の生涯。それはアカデミズムのエリートが歩む最短経路からは大きくはずれ、前を照らす光もささない険しい山あり谷ありの文字通り「ストックホルムへの廻り道」だった。
異色のノーベル賞学者の自伝にしばしば顔を見せる自賛の言葉は、無邪気な明るさに満ち、多くの読者に希望を与える成功譚になっている。
読みどころは北里研究所でポストを得た大学紛争の余韻が残る70年代前半に、研究を続けるための資金を確保するために米国企業と産学協同研究を始めていくところ。その研究も「流行に乗らない」ことをモットーに新化合物を探すこと。しかも従来であれば「病原菌の働きを抑える」とか「酵素の機能を妨げる」といった活性をまず考え、その活性を持つ物質を探すのが研究の主流だったが、最初に採取した土から化合物を見つけ、性質や活性を調べるという逆転の発想がノーベル賞受賞につながったことだ。受賞理由でもある、のちに寄生虫を殺す薬として動物だけでなく、アフリカなど熱帯の国の感染症への特効薬として莫大な利益を挙げることになる「エバーメクチン」は静岡県伊東市の土から発見されたものだった。
このような常識破りの逆転の発想は、経営危機に瀕していた名門・北里研究所の再建でも発揮され(エバーメクチンの特許料が役立った)、14年間理事長を務めることになった女子美術大学でもばらばらになっていた教授陣をひとまとめにする役割を担わせることになる。
読む人を必ずややる気にさせる希有な自伝である。