脚気の原因説を巡り、高木兼寛は陸軍軍医部を代表する森林太郎(鴎外)と宿命的な対決をする。それは学理を重視するドイツ医学を信奉する東京帝国大学医科大学及び陸軍首脳と、患者の治療を重んじ実証主義に徹するイギリス医学に則る海軍首脳との抜き差しならぬ対立でもあった。この対決は日清・日露を経て、両者の死後初めて決着した。