何が人に、「見える」という経験を確信させるのか。
その経験の確証性はどこからくるのか……。
2015年12月、
獨協大学で開催された国際フォーラムから本書は生まれた。
人間にとって「視覚」とは何か、
視覚は人間に何をもたらしたのか、
新たな視覚技術との関わりを通じて見えてくる
新たな問題とは何か。
「見える」経験の自明性への問いを、
本書では文化的かつ歴史的側面からアプローチする。
本来ひとつの空間では多様な見え方があるはずだが、
ひとつの文化的時空間においては、特定の見方が
他の見え方を上回ることで本質的に選び出され、
自然な経験として成立している。
「視覚の専制」という視覚文化論を中心的な課題と
しつつ、それがいかにして確立され、
その後どのようなゆらぎをはらんできたのか…
視覚が全てを差し置く状況を批判的に検討する。
視覚文化論という新たな領域が見出すのは、
近代的世界観を規定した力への批判的視座である。
絵画や建築といった旧来の視覚芸術から、
映画やインターネットのような現代の視覚媒体にいたる、
「見ること」の文化を、視覚文化論という研究領域の
対象とする本書は、フォーラムに招聘された
この分野の研究者が発表したものを再録し、
視覚文化研究のさまざまな可能性について、
西洋と東洋の文化圏を横断しつつ、
視覚に関する考察を深め、「見える」という経験を
可能とさせる文化的な諸力が交差する美術、写真、文学、
映像技術、インターネットなどに内在する視覚の歴史と
そのあり方を批判的に検討するものである。