「ひたすら講武の事を沙汰せられける」太平の江戸時代中期、質実剛健の士風はすたれ、幕府の中核部隊であるはずの旗本五番方の面々は満足に乗馬も出来ない体たらくであった。こうしたなか将軍となった徳川吉宗は、新旧さまざまな武芸奨励を実施し、軍事演習さながらの大規模な狩猟をも敢行した。番士を鍛え直すべく始められた、吉宗の武芸奨励の実態に迫る。