日本の原子核研究は,当時小さな国力にも関わらず,戦前から非常に高い水準にあった。仁科芳雄と並びそれを実験原子核物理の分野から牽引したのが荒勝文策であり,敗戦直後,日本の科学技術を調査した占領軍を驚かせた。アジア初の核変換実験,今日から見ても極めて高精度のウラン核分裂の計測,広島の原爆調査と台風遭難の悲劇,そして理不尽なサイクロトロン破壊と研究禁止……。「秘話」として部分的にしか語られてこなかった,激動の近代史の中で取り組まれた核研究を,始めて内外の膨大な資料の解析で通史として記録する。