既存のマス・コミュニケーション研究やメディア論のパラダイムを内側から喰い破っていく試みとして、ここにメディア・スタディーズを構想。文学的なメディアや映画、ポピュラー音楽などがこの構想の射程に含まれるのはいうまでもないが、同時にテレビや新聞、雑誌、広告、マンガなどがメディア・スタディーズにとって中核的な探究のフィールドとして焦点化されなければならない。マクルーハン風にいうならば、概して「冷たい」メディアに属するこれらは日常生活と切れ目なくつながっており、テクスト論的なアプローチには限界がある。メディアを作者の意図や意味が結晶化されている媒体としてではなく、その前にたむろし、往来する散漫なまなざしが作用していく集合的な身体力学の場として捉え直していかなければならないのである。